ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣

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こんにちは、風呂めぐみです。ご縁のある皆さま、いつもありがとうございます。高松でソーシャルビジネスのプラットホーム、コワーキングスペース・ガイニーを運営させていただいています。コワーキングスペースという提供させていただいている設備の特徴から、起業時の初期投資費用をおさえられるため、何かをはじめたい方の利用も多く、相談にのることがあります。セルフブランディングのお手伝いをさせていただいています。

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泣いてしまいました。

「ユダヤ人大富豪の教え」
をカフェボッサのマイ棚に追加しました。
日本人と、ユダヤ人はとても気質が似たところがあると、私は
思います。両者とも勤勉で、真面目。平均的には小柄で内助の功も、
ただ、日本人には故郷があり、ユダヤ人には故郷がない。
危機管理能力は、ユダヤ人の方が高いかな?
私がアメリカでステイしていた先の、ホストファミリー、以前にも
このブログで、書かせてもらいましたが、4歳の女の子マランタにも
金の高価なピアスがはめられていました。
それは、体一つで逃げ行った時、明日を生き延びるために、彼らは
身につけているのだと、私は後で知った。
私がその出来事を知ったのは、帰国してからあるユダヤ人女性と
知り合ってからです。丁度、映画「シンドラーのリスト」が公開と
なった付近で、日本人にもシンドラーと同じ事をしてくれた人が
いる。私たちは日本人に感謝している。と言っていました。
それで、ホームステイさせてもらったのは、日本人なんだ。。
私だったんだと思いました。
この本を読んで人は、感謝と敬意を忘れてはいけない。
決して忘れないものだと思いました。
—以下wikipediaから引用です—
削除審議されているようでしたので、引用させていただきました。
「センポ」とミドルネームっぽくあるのは、「ちうね」という発音が
外国人には難しいので。「センポ」と呼ばれていたらしいです。
そういえば、スキーを教えていたときに、外国人スタッフは
呼びやすいようにあだ名をつけていましたね。
「ケンジ」⇒「ベンジー」という風に。。。
杉原 千畝(すぎはら ちうね、SUGIHARA “Sempo” Chiune、1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日は日本の官僚、外交官。
日本軍の樋口季一郎陸軍中将と共に、多くのユダヤ人を救った日本人として知られている。
第二次世界大戦の際、外務省の命令に反してユダヤ人が亡命できるようにビザを発給。ナチス政権下のドイツによる迫害を受けていたおよそ6,000人にのぼるユダヤ人を救ったことで知られ、勇気ある人道的行為を行ったと評価されている。

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